2026年11月2日
SPECIAL TALK
土に鍛えられたラガーマンと、蔵に息づく杜氏の感性
大野均氏と吉乃友酒造・青木杜氏が語る、日本酒のこれから
日本酒の一杯には、米を育てる人がいて、水があり、土地の気候があり、蔵で働く人の手があります。そして、その酒を誰かと囲み、料理との相性を語り、初めて知る味わいに心を動かす時間があります。元ラグビー日本代表の大野均氏と、吉乃友酒造の青木杜氏による対談は、そんな日本酒の背景にある仕事と人の思いを、あらためて見つめる機会となりました。

ラグビーと酒造り。舞台は異なりますが、二人の言葉には、自然と向き合い、仲間を信じ、次の世代へと何かをつないでいこうとする共通のまなざしがありました。対談で交わされたのは、単に酒の味や商品の話だけではありません。米づくりの記憶、厳しい競技生活で培われた姿勢、受け継がれてきた技、若い世代に日本酒を届けるための新たな挑戦まで、多彩な話題が一つの物語としてつながっていきました。
米農家の原風景が育んだ、粘り強さ
大野氏は福島県出身で、米農家を営むご実家で、幼い頃から田畑の仕事を手伝ってきたといいます。農作業は、季節や天候に左右される営みです。思い通りにならない自然を相手に、手を動かし続ける。そこで身に付いた身体の強さや粘り強さは、のちに始めたラグビーの世界で大きな支えになりました。

大学でラグビーと出会い、東芝ブレイブルーパスでの活動を経て、日本代表としてワールドカップにも出場した大野氏。激しいコンタクトと厳しい練習を重ねる日々のなかで、個人の能力だけでは越えられない壁を、何度も経験してきたはずです。ラグビーは、ボールを持つ選手だけで完結する競技ではありません。スクラムを組む人、タックルをする人、走り込む人、声をかける人――それぞれが役割を果たし、仲間のために力を尽くすことで、チームは前へ進みます。
この感覚は、酒造りにも通じます。一本の酒が完成するまでには、米を選び、磨き、蒸し、麹をつくり、もろみを管理し、搾り、貯蔵し、届けるための準備をする多くの工程があります。杜氏だけの仕事ではなく、蔵人一人ひとりの観察と手仕事の積み重ねが、酒の表情を形づくります。米農家の家庭で育ち、チーム競技で人生を重ねてきた大野氏だからこそ、酒の向こう側にある人の営みへ、深い共感を寄せていたように感じられます。
土に触れ、仲間と力を合わせ、日々の積み重ねを信じる。その姿勢は、競技の世界でも、酒を醸す蔵でも変わりません。
温度の変化を受け止め、酒と対話する
2026年1月に吉乃友酒造の杜氏へ就任した青木氏は、酒造りにおいて「自然の変化をどう受け止めるか」という大切なテーマに向き合っています。対談では、季節による気温の変化を感じながら酒を育てる環境について紹介されました。
もちろん、自然環境を生かす酒造りは、ただ設備を減らせば成り立つものではありません。気温や湿度が変われば、米や麹、もろみの状態も変わります。その小さな変化を見逃さず、必要な時に必要な手を入れることが求められます。酒造りには数字や設備による管理が欠かせない一方で、最後に問われるのは、蔵人が五感で何を感じ、どのように判断するかです。
青木氏が大切にするのは、そうした手仕事のなかで若い蔵人が経験を重ねられることでもあります。発酵は毎年同じではなく、同じ米でも同じ表情を見せるとは限りません。だからこそ、失敗を恐れて工程を固定するのではなく、酒の状態を読み取り、考え、判断する機会が必要です。技術を継承するとは、手順を伝えることだけではありません。酒を前にしたときに、何を見て、何を感じ、どう決めるか。その感覚までを受け渡していくことなのだと、対談を通じて伝わってきました。

その歩みは、すでに成果にも結びついています。杜氏就任後の酒づくりは、国内外の酒の品評会でも評価を得ており、吉乃友酒造の酒が持つ可能性をあらためて示しています。ただし青木杜氏の挑戦は、受賞のためだけにあるのではありません。一杯を口にした人が「おいしい」と感じること、その背景にある土地や人への興味が生まれることを、何より大切にしているようです。
富然「暁」と「晄」――入り口を増やすという挑戦
対談では、新しい商品づくりに込める思いについても話が広がりました。日本酒を日頃から親しんでいる方に向けた「暁」と、若い世代にも手に取ってもらいやすい「晄」。異なる個性を持つ酒をそろえることで、飲み手それぞれに合った入り口をつくろうという考えです。その日本酒を収める箱には富山の立山連峰を思わせる風景が取り入れられ、酒そのものだけでなく、その酒が生まれた土地の魅力にも触れてもらえる設計になっています。

日本酒の魅力を広げるうえで、重要なのは「詳しい人だけの飲み物」にしないことです。専門用語を知っているかどうかではなく、「飲みやすい」「料理に合う」「この場面で楽しみたい」と思えるきっかけがあれば、誰もが日本酒の世界へ入っていけます。低アルコールの商品や小容量ボトル、スパークリング日本酒といった提案は、その入口をさらに広くする試みです。
今後は、新しいタンクの導入を見据え、タンク内二次発酵によるスパークリング日本酒にも挑戦する構想があります。華やかな泡立ちや軽快な口当たりは、乾杯のシーンはもちろん、日本酒にまだ馴染みのない方にも親しみやすい可能性があります。伝統を守ることと、新しい飲み方を提案することは、対立するものではありません。むしろ、時代に寄り添う表現を増やすことが、長く続いてきた文化を次の世代へ渡す力になるのです。
食卓に広がる、日本酒の新しい会話
大野氏と青木氏の会話は、「どんな酒をつくるか」から「どう楽しんでもらうか」へと自然に広がっていきました。寿司やからすみ大根に合う酒、酒粕を使った料理、馬刺しのような赤身肉との組み合わせ。さらには、福島のイカ人参や山形のおみ漬けといった地域の食にも話題は及びます。日本酒は、料理と出会うことで味わいの輪郭が変わり、土地の記憶や人の会話を引き出してくれる存在です。
とりわけ印象的なのは、塩を取り入れた試飲体験の提案です。少量の塩を味わいながら酒を口にすると、甘味や旨味の感じ方が変化することがあります。これは、難しい理屈を先に伝えるのではなく、実際に味わいながら発見してもらうための仕掛けです。「日本酒は難しそう」という印象を、「こんな楽しみ方があるのか」という驚きに変える。食とのペアリングは、商品を売るためだけの工夫ではなく、飲み手と酒の間に新しい対話を生む方法でもあります。
一杯の酒をきっかけに、初めて出会う料理を楽しみ、造り手の話を聞き、人と人が言葉を交わす。そうした場が増えれば、日本酒は特別な知識を持つ人のためだけではなく、日常を少し豊かにしてくれる身近な存在として、さらに多くの人に届いていくでしょう。

文化を守るとは、未来に開いていくこと
日本酒業界には、若い世代の飲酒離れや後継者不足、流通における品質管理など、向き合うべき課題があります。たとえば、生酒が持つ瑞々しい魅力を、いかに品質を保ちながら遠方の飲み手へ届けるか。あるいは、ECサイトで商品を探す人に、酒の特徴や在庫状況を分かりやすく伝えられるか。酒造りの現場だけでなく、販売、発信、体験設計までを含めて、今の時代に合う形を考えていくことが求められています。
同時に、蔵を訪れる人を迎えるための環境づくりも進んでいます。蔵は単に酒を生産する場所ではありません。そこには、水や米、微生物、気候、そして長い年月をかけて受け継がれてきた技があります。その空気を実際に感じてもらうことは、日本酒への理解を深める大きな入口になります。衛生管理など、酒を守るためのルールを整えながら、訪れる人を丁寧に迎える。そうした取り組みもまた、酒の価値を未来へつなぐ大切な仕事です。
大野氏がラグビーを通じて培ってきたのは、困難な局面で一人にならず、仲間と支え合いながら前へ進む力です。青木氏が蔵で実践しているのは、自然の声に耳を澄まし、手をかけ、次の担い手が育つ環境をつくることです。二人の立場は異なりますが、その根にあるのは、目先の結果だけではなく、長く続くものをつくるという姿勢にほかなりません。
米から生まれ、土地の気候と人の技によって育まれる日本酒。その一杯には、飲む人の時間を豊かにするだけでなく、地域の文化や人の仕事を次へつなぐ力があります。大野氏と青木杜氏の対談は、日本酒の未来が、伝統を大切にしながらも、新しい飲み手、新しい食、新しい体験へと、しなやかに開かれていくことを感じさせてくれました。


